88キロから何年でゴールド取れるのか試してみる

1974年生まれのデブが還暦までにゴールド取れるか試そうとしている2022年4月現在88キロのデブの物語。

第15回富士ヒルクライム参加2

マイペースの維持!を意識し過ぎたのか、大沢手前五キロ位になっても、おしゃべりしていた赤ジャージの選手は見つかりませんでした。その間、何人もの赤ジャージを見つけては人違いを繰り返しました。

赤ジャージの人にこだわったのは、きっと、序盤僕をペースメーカーにしていたはずなのですが、途中ペースが遅すぎることに苛立ち、僕をかわしたことが明らかだからです。

すでにブロンズから遠のいているとはいえ、最低限、その人の前に出ないことには申し訳がない。その一心で、赤い影武者を抜き続けました。

大沢駐車場の手前のストレートで、そのときは来ました。

楽しい待機時間を過ごさせてくれた赤ジャージの人が、すぐそこにいました!

何か声をかけるべきか迷いましたが、その人はオーバーペースだったのか、完全にもう加速できない状態でした。

声はかけずに前にでました。

ついてこれるなら、今度はきっちり引くよ!という思いで一瞥。

そこからは振り返らずに、『ブロンズはもう無理!だけど、まだ回せる‼️』そう思い、奥庭駐車場に耐える力だけ残して、ペダルを踏みました。

いつもは気が遠くなるような奥庭駐車場の坂も、今回は短く感じました。

逆にトンネル3個ストレートでは、全力で回せませんでした。

2個目のトンネル、左車線ど真ん中で、落者が発生。バッドタイミングでした。

落者ぁぁ~っと叫びスローダウンした瞬間、僕の後ろから、スミマセン!みたいな感じで前に出る選手たち。

幸い接触はなかったので、そのまま走ります。この時は、不思議と、とにかく3個目のトンネル、ゴール前。ここだけは絶対に走りきりたい!

それしか考えてませんでした。

力を出し尽くしていたのか、最後のバス駐車場のバスが、いつまでもわいてくるように思えましたが、そこからのゴールスプリントで10人位は抜くことが出来ました。

今年もブロンズには届きませんでしたが、最後まで自分らしく走りきれたのか、下山荷物を取りに行く坂道では、生まれたての小鹿のようにプルプルしてました(^^;

僕はブルーのリングを貰いました。

悔しさはあります。

反省もしています。

でも、ブルーのリングでガッカリしたり、捨てたりしたら、リングがかわいそうじゃないですか。

だから、今回の記録とリングは大切にしようと思います。

来年も、自分らしく走れるように。

そして、もっと早く走れるように。

次のレースの準備はもう始まっています!

さぁ、今日も頑張ろう‼️
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